「時」


「あなたの人生を24時間に例えると今何時」という計算があると聞きました。「人生時計」というそうです。

年齢を3で割って、「時」を付けて表現するそうです。21歳ならば、3で割って7になるので、午前7時です。60歳ならば、3で割って20になるので、20時すなわち午後8時となります。3で割ると72歳が24時です。最近では、30時(90歳)も珍しくないですね。

鴨長明さんは、『ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみにうかぶうたかたはかつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人と栖と又かくのごとし。』と方丈記の冒頭に書いております。名文ですよね。鴨長明さんの、人生のすべてが詰まっているように思えます。そして、「時」の流れるさまを教えているのだと思うのです。

私が中学生の時(ざっと40年前)、国語の先生がお休みで別の老先生がやってこられた。私は老先生の話に引き込まれました。「少年老い易く学成り難し、一寸の光陰軽んずべからず」(南宋の儒者である朱熹の詩句)という故事成語の話でありました。この授業を受けて以来、私は「時」に囚われることになります。

時計はイメージし易いですが、日にちに換算すると、1年365日として、×60(歳)で21,900日、×72で26,280日です。×80で、29,200日ですね。どう、お感じでしょうか。私は、ちょっと、少なく感じましたが、欲張りでしょうか。

故池田晶子氏は、「今年」って塊が理解できないみたいなことを言ってました。どの本だったか忘れてしまいました。確かに、「年」って塊はどこにあるのでしょう。時は、一秒一秒前に向かって行きます。決して、止まってくれません。
纏まって去り、纏まって来るものではありません。しかし、人は、「時」を一つの塊のように使うことがありますね。「時代」なんて言い方は、その代表かもしれません。

口には出さないけれど、人はみな分かっているんでしょうね。そして、みんな「時」と格闘してきたんですね。そして、「時」の経過と共に、何処かへ去って行くことも分かっているんです。人生における通奏低音のようなものですね。パッヘルベルのカノンのビオラのように、人は「時」を意識しなくても、常に感じているのです。しかし、誰かから「時」の定義を聞かれたら、説明できますか?私は、今でも「時」を人に説明することができません。

えっ、何?私?「もうすぐ午後9時」。私の人生時計は、「もう9時なのぉ!風呂に入らなきゃ」なんて言っている場合ではないのです。あと3時間かあ…「かあ~」なんて声をあげている間にも、時計の針は動き続けています。知らないうちに私の人生は日が暮れていました…

まあ、夜は夜で楽しみもあるでしょう。ゆっくり探します。

, , ,