読書の秋 徒然草


私は読書が好きです。出かけるときは、最低1冊の本を持ち歩いています。必ず持ち歩く一冊がありますが、それは「徒然草」です。

「徒然草」は、吉田兼好(兼好法師)により、鎌倉時代末期から南北朝時代初めに書かれたと云われる随筆です。その文体は、和漢混交(混淆)文で書かれています。漢文やひらがなだけでは、読みづらくて仕方ありませんが、やっと鎌倉時代末期になって、今の私たちが、そのまま読めそうな気がする古典が出てきました。それが「徒然草」です。何回読んでも奥が深く、その思想に到達することは出来ませんが、現代にも通じる普遍的なものを感じます。

つれづれ草(上)の書き出しはこうです。 

序段

 つれづれなるままに、日くらし、硯にむかひて、心に移りゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。

なんとなく読めますよね。「あやしうこそものぐるほしけれ」は、専門家の解説を読まないと分かりませんが、なんとなく読めそうな気がします。

つれづれ草(下)の初めの段はこうです。

第百三十七段

 花は盛りに、月は隈なきをのみ、見るものかは。(以下、省略)

です。「花はその盛りの時、月はかげり無く輝くだけの月が、観賞に値するものだろうか。」と言ったニュアンスでしょうか。例えば、桜の開花~満開~散り際、また、月の満ち欠けに、我々は何かを想うことがありませんか。

私は、高校時代、古典でいつもクラスの平均点に届きませんでした。従って、私の注釈は当てになりませんが、私は、勝手に「徒然草が日本のブログのルーツ」だと思いながら、いつもゆっくり味わっています。

「私の日本古典年表」なんていうページを準備しましたので、ご参考までにご覧ください。すでに読んだ本もありますが、死ぬまでには読んでみたいなという作品を書きあげました。

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